夏の全国高校野球は22日決勝が行われ、宮城の仙田育英高校が山口の下関国際高校に8対1で勝ち、初優勝しました。東北勢の優勝は春夏通じて初めてです。
104回を数える夏の全国高校野球の歴史の中で、東北勢悲願の初優勝となりましたが、過去にも優勝にあと一歩と迫った年は沢山ありました。
1915年(大正4年)の第1回大会で、秋田中学(現在の秋田高校)が準優勝しました。
その後、決勝に進めない時代が半世紀あまりあり、1969年(昭和44年)、青森の三沢高校が太田幸司投手の活躍で54年ぶりの決勝進出を果たしました。愛媛の松山商業との試合は延長18回、史上初めての引き分け試合となり、翌日の再試合で敗れました。
2年後の1971年(昭和46年)には福島の磐城高校が、「小さな大投手」と呼ばれた身長165センチのエース田村隆寿投手の活躍で決勝まで進みましたが、あと一歩で優勝を逃しました。
平成に入って、1989年に仙台育英高校、2003年には、現在メジャーリーグで活躍中のダルビッシュ有投手がエースの宮城県の東北高校が決勝に進みました。
さらに、震災の年2011年、青森の光星学院が2年連続決勝進出。2015年には仙台育英が2回目の決勝に臨みました。
直近では、節目の第100回大会となった2018年に、秋田の金足農業が、現在日本ハム所属の吉田輝星投手を擁して、秋田勢として第1回以来の決勝に進みましたが、優勝には届きませんでした。
そして今大会、仙台育英がチームとして3回目、東北勢として10回目の決勝に挑み、山口の下関国際に8対1で勝って、深紅の大優勝旗が初めて白河の関を越えて東北の地に持ち帰られることになりました。